終局、それは始まりのあとに必ず訪れる。ただの個人的解説、
第二次綾波回顧録
私は、自分の中からひとりで出てこようとしたところのものを生きてみようと欲したに過ぎない。なぜそれがそんなに困難だったのか。
われわれのすべてのものの出所、すなわち母は共通である。われわれはみんな同じ深淵から出ているのだ。しかし、みんな、その深みからの一つの試みとして一投として、自己の目標に向かって努力している。われわれは互いに理解することはできる。しかし、めいめいは自分自身しか解き明かすことはできない。
(ヘルマン・ヘッセ/『デミアン』の序文)
「人とのふれあいと時の流れが、私の心のかたちを変えていくの」
レイ、心の旅路
「絆だから」、「わたしには他に何もないもの」
ネルフ本部の地下深くにある人工進化研究所・3号分室で綾波レイは生まれた。
「そう、よかったわね」、「あ、ありがとう」
シンジやアスカとの出会いによってレイの希薄な感情は次第に色づけられて、自分以外の人間を気遣うようになっていく。さらに自分自身のことについても考えるようになっていく。
これは誰?、これは私、私は誰?、私は何?、一人は寂しい、これが涙?
自分自身の気持ちと向き合ううちに、これまで持たなかった懐疑や不安や寂しさのような感情にとらわれていくレイ。
「私は私、私はこれまでの時間と他の人たちとのつながりによって、私になったもの」
単に造られた物とは違う、自分の存在証明を確認する。
「私は死にたいもの、欲しいものは絶望、無へと帰りたいわ」
でもまだ無へは帰れない、与えられた目的のために。碇ゲンドウという他人の目的のために生きてきた綾波レイ。
「私はあなたの人形じゃない」、「私はあなたじゃないもの」
しかし最後には自分の意志で自分の故郷へと帰っていく。自分自身の目的のため。
綾波ハイライト
第壱話:使徒、襲来
開始直後、シンジは道路の真ん中に立つ綾波レイを見る。それは碇シンジの見た幻影なのか・・・。
終盤に担架で運ばれてくる包帯姿のレイ。水色の髪、赤い目、白いプラグスーツ。苦痛の呻きをあげるレイを見てシンジはエヴァンゲリオンに乗ることを決意する。言葉こそ無いものの、ヒロインとして、またミステリアスな存在としての綾波レイが視聴者の心をつかむ。
第五話:レイ、心のむこうに
出番の少なかったレイだが、この回ではレイに焦点が当てられている。レイの部屋、性格、ゲンドウとの関係の一部が公開されている。あそこで平手打ちが出るとは・・・。
第六話:決戦、第3新東京市
前回に引き続きこの回もレイが中心。任務を黙々と遂行する感情の希薄な綾波レイ。待機中のシンジとの会話、終盤の笑顔は、シンジとともにこれからどう変わっていくのかを期待させる。
第拾壱話:静止した闇の中で
第八話以来アスカの活躍が目立っていたが、この回ではレイの会話が多い。停電のネルフ本部を進むレイ、アスカ、シンジ。沈着、冷静、目的のためには手段を選ばない(笑)綾波レイ。自分自身に対する認識もクールだ。終盤には「てっつがくぅ〜」的発言がみられる。その表情は世界に対する的確な認識が感じられる。
第拾四話:ゼーレ、魂の座
綾波レイの詩。初号機のエントリープラグの中で見る、綾波レイの原始的記憶を感じさせる風景。シンジの乗った零号機の暴走。この回は綾波レイの謎を強調した話になっている。
第拾六話:死に至る病、そして
第拾五話から第拾九話までは、毎回、レイの人間的感情が描かれている。シンジを気遣うレイ。同時にゲンドウとともにダミープラグの製造に係わるレイ。第弐拾話ではシンジの心の中でいろいろと問いかけてくる、シンジにとって最も身近な存在となっているような気もするのだが。この第拾六話では使徒に飲み込まれたシンジをめぐるアスカとのやりとりや、病室でシンジに付き添うレイが出てくる。
第弐拾参話:涙
この回は綾波レイの最後とその秘密の全貌が語られている。使徒と一人で戦うレイ、心の中で使徒と向かいあう。使徒は彼女の心の奥に潜む人間的感情を引き出したのか。レイは初号機を守るために自爆する。それはシンジのために?、あるいはただゲンドウのため任務を果たすために?。リツコによって語られるレイの正体、水槽に浮かぶ無数のレイ。それは今までの綾波レイの一つの終局でもある。
第弐拾五話:終わる世界
綾波レイの心理の中。レイは自分自身の心と向き合う。自分のことを正確に把握しているレイだが、かつてのようにはクールにはなれない。人とのふれあいと時の流れがレイの心を変えたのか。しかし約束の時はやってくる。彼女は立ち上がった。この回もレイの会話が多く、レイの自己認識にとっても内容の濃いものであると思われる。全ての綾波レイという存在についての集大成でもある。
第26話:まごころを、君に
TV版第拾六話ではシンジの心の中で語りかけ、シンジの心の補完を助けるレイが描かれていた。しかし映画版26話では、レイはゲンドウを見捨ててリリスと融合し、初号機ごとシンジを取り込んで彼に語りかけ、心の補完を促している。同時にリリスと融合したレイは人類全体を補完し、浄化する圧倒的な存在として描かれている。最後に、シンジは波間に立つ綾波レイを見る。やはり彼女は碇シンジの見た幻影だったのだろうか・・・。
綾波シリーズ
1人目
第弐拾壱話で出てきた幼いレイ。あまりに率直な性格だったために赤木ナオコに絞め殺されてしまった。しかしこの幼いレイは、レイ自身やシンジの心の中にしばしば現れ、苦痛を伴うような率直な指摘をおこなう。綾波レイの中の埋もれた人格の一つとも思える。
2人目
第弐拾参話で自爆するまで物語の全編を通して存在したレイ。時には自己犠牲的な行動をし、時にはシンジに平手打ちを食らわせ、時にはニンニクラーメンチャーシュー抜きを食べ、シンジやアスカやゲンドウと関わっていく。その心の移り変わりが綾波レイのテーマだったと思うのだが・・・。彼女の人格は3人目のレイに受け継がれていると思われる。
3人目
第弐拾参話で死んだはずのレイだが、再び現れる「3人目」のレイ。その秘密はリツコによって語られる。第弐拾四話で使徒と同等の力を見せる、同時に自分の存在について考える3人目のレイ。映画版第26話では自分の意志で母なるリリスのもとに帰っていく。そして哀しみに満ちた孤独な人類の心を補完していく。
スペア
セントラルドグマで水槽に浸かる無数の綾波レイの形をしたもの。魂の存在しないただの容れ物。人は人が造りだしたもの?。その存在はレイやシンジの心の中でひとつのプレッシャーとして働きかける。一斉に振り向く無数の綾波レイ。しかし魂はない。だがその中からレイのように魂を持ったものが生まれ得る。それは原始の海の中での生命誕生を感じさせる。
ダミープラグ
ダミープラグ製造装置によって造られたレイのパーソナルを持つ機械。しかしその獰猛な攻撃精神は普段の綾波レイとは別物だ。それは機械故なのだろうか、それとも「ファーストって怖い子ね。目的のために手段を選ばないタイプ、いわゆる独善者よ」(アスカ談)的パーソナルが反映されているからなのか(^^;。実際に使用されたのは第拾八話のみ。第拾九話では初号機によって拒絶された。
綾波レイを取り巻く人々
エヴァンゲリオン
アダムの分身、人造人間エヴァンゲリオン。「エヴァには心がある」、エヴァンゲリオンにはマギシステムと同じく人の心が宿っている。しかしそれはサルベージされたもの。魂はレイにしか生まれなかった。それを起動させるにはさらに人間(チルドレン)の搭乗かダミープラグを必要とする。ときに自ら起動したり人を取り込んだりする。初号機には碇ユイがサルベージされているが、零号機は不明。
リリス
レイが最後に帰ったところ。人間も含めた全ての使徒の源。第弐拾参話では、人は神(アダム)を拾いそのコピーとしてエヴァやレイが造られたとリツコによって語られている。第弐拾四話では、アダムより生まれし者カヲルが「君は僕と同じだね」とレイに言っている。しかし映画版第26話からは、レイ自身はリリスのコピーと思われる。たぶんネルフ本部にリリスがいたということは、かつてアダムと一緒にリリスも拾ったということだろうか。リリスはレイの帰還を待っていたようだ。
碇ゲンドウ
ネルフの司令官にして創始者。自分の目的のためにレイを利用しているようだ。彼がレイにこだわりすぎるのもそのせいであると思われる。映画版26話では、ゲンドウの目的はエヴァに取り込まれた碇ユイに再び会うことだと自ら言っている。そのためのネルフであり、そのために綾波レイが必要だったようだ。おそらくエヴァと共に生きようとしていたのだと思われるが、一体どのような方法でそうしようとしたのか、またなぜあのような回りくどい過程を経る必要があったのかは不明だ。ゲンドウの補完時には彼の心の弱さが語られていたが、その目的もそれを遂行しようとする非情な意志も弱さ故のものだったのだろうか。
碇シンジ
最初に会った時の綾波の存在が彼をエヴァに乗せたといえるだろう。シンジの繊細で他人との接触を避けようとする心も綾波レイを知ろうと努めていたように思われる。シンジは綾波レイに母性を感じているようだ。そのせいかレイはよくシンジの心の中に語りかける役割を果たしている。レイも次第にシンジを気遣うようになっていく様子が描かれている。最後にシンジは綾波を怖れて逃げ出すが、レイと同化したリリスの中で心の補完がおこなわれる。
惣流アスカ
アスカは綾波レイが嫌いなようだ。それはレイが人に言われるままに動く人形の様に見えるからで、アスカの過去の体験がそのような生き方を拒んでいるからといえるだろう。同じくシンジのような生き方も認めていないようだが。ちょっとした衝突も見られるがレイとの接点はあまりないように思う。
赤木リツコ
碇ゲンドウとともにレイの秘密を最も知っている人物。第弐拾参話ではレイの秘密を明らかにする。彼女はダミーシステム計画も担当しているようだ。レイを憎んでいるようには感じられなかったが、碇ゲンドウとの関係からレイの魂の容れ物、スペアの体を破壊するに至る。
青葉シゲル
・・・・・何も言うことはありません。(^_^)
終局、それは始まりのあとに必ず訪れる
TV版の最終話はシンジがみんなの拍手を受けて終わっている。一方、映画版の最終話はシンジがアスカの首を絞めるという形で終わっている。それはシンジの最後の言葉、「幸せがどこにあるのかまだ分からない。だけどここにいて、生まれてきてどうだったのかはこれからも考え続ける。だけどそれも当たり前のことに何度も気づくだけなんだ、自分が自分でいるために」という台詞を受けていると思われる。
当たり前のことに何度も気づくために現実に舞い戻ったシンジ。そんな彼の生き方(それは現実的な生き方である)を象徴したラストであると思うのだが。ハッピーエンドが求められるアニメのラストではこのような終局は特異なものだが、より現実を追求したものとなっている。なぜなら現実では生きている限りエンドは訪れないからだ。TV版のラストも最後の最後を除けば表現していることは同じようなものだと思う。
閉塞した現実の世界。多くの人はそこで目的を持って安住し、別の世界を考えようとはしない。ある人は希望と絶望の狭間で堂々巡りを繰り返している。またある人は速やかに世界から去っていく。エヴァンゲリオンの主題歌『残酷な天使のテーゼ』の歌詞にある「自由を知るためのバイブル」としてシンジの前に現れた綾波レイという不自由な存在。彼女は自分自身の感情を知ったり目的を持ったりすることが困難な存在として描かれている。
綾波レイとのふれあいの中でシンジは閉ざしていた心を開き、同時にレイの心を導いていく・・・というのが物語のパターンであるはずなのだが。しかしエヴァはそんな安っぽいアニメではなかった(苦笑)。物語の終盤の怒濤の展開はシンジをレイのもとから逃亡させた。一方、逆に「自由」を知ったレイがシンジを含む世界全体を飲み込んでいく。そして、改めて言えば、レイがそこまでした結果としてシンジが知り得たことは、彼自身が既にあるいは何度も知っていた当たり前のことをもう一度思い出させたに過ぎなかった。そういう点で、神秘主義で自己啓発的アニメと批判されるエヴァンゲリオンは他のアニメ、あるいはドラマ、あるいは映画、あるいは報道と比べてより現実に近いものを感じる。
シンジの心の補完、シンジ自身の決断を促した綾波レイだが、その最後の最後に与えられた役割はシンジの前から消えることだった。ちょうど彼女が初めてシンジの前に現れたときと同じように。綾波レイは最後まで純粋な透明感のあるキャラクターとして描かれている。良く言えば青春の幻影(笑)、悪く言えば困ったときにだけ助けを求めてもいい神様、故に希薄な存在と言えるだろう。しかしリリスへの帰還に至るまでのレイの葛藤は、彼女がまさしく人間であることを表していて観ている者の心をうつ。第弐拾五話では映画版では見ることのできなかった綾波レイの心の葛藤が人間的に描かれている。
出番や会話の少なかった綾波だが、それがよりいっそう綾波を引き立てているように思う。最後まで活躍してくれた綾波レイに「ありがとう」 <なんかわざとらしい終わり方。(^^;
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付録
エンディングテーマ「FLY ME TO THE MOON」
相田ケンスケの個人資料の抜粋
THE END OF EVANGELIONのキャッチコピー
超短編エヴァ小説、ONE MORE FINAL、最終話:地上より永遠に
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